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二十回目ゲスト 樋口卓治
さん(TAKUJI HIGUCHI)
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| 高須 |
さて、まじめな話もちゃんとしましょう。
樋口君は放送作家になったのって、何歳のとき? |
| 樋口 |
今で言うところのフリーターやってました。
広告のバイトしてたんですよ。
それが、この業界に入るきっかけにもなったんですけど。 |
| 樋口 |
求人情報誌を見て、他社がどんな雑誌に求人広告を載せてるか?
というのを 見る仕事だったんですね。
「あー、こんな記事が出てるなぁ」ってチェックしていくんですけど、
その中にある日「古舘プロジェクト」の広告が載ってたんですよ。
「放送作家募集」みたいなのが。 で、おもしろそうだなぁと思って、
びりっと破ってポケット入れて持って帰ったんです。
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| 高須 |
へぇ〜、そんな広告とかでも募集があったんや。
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| 樋口 |
だけど、放送作家?言われても、
どんな職業かまったく見当つかないじゃないですか。
例によって履歴書書いて、簡単な作文かなにかを書いて、
面接に行ったんですね。 |
| 高須 |
その頃、古舘プロジェクトっていうと、
どんな作家さんがいたの? |
| 樋口 |
えーっと、伊藤さんとか、
(伊藤滋之氏 〜『筋肉番付』『スポーツマンNo1決定戦』など)
山本さんとか
(山本宏章氏 〜『おしゃれカンケイ』『ビバリー昼ズ』など)
腰山さんとか…。
(故・腰山一生氏〜古舘プロジェクト創設メンバー) |
| 高須 |
おー、錚々たるメンバーやねぇ。
で、面接どうやったの? |
| 樋口 |
当時、古舘プロジェクト自体が番組を一本持っていて、
それのリサーチャー募集だったんですよ。
その番組自体は1クールで終わっちゃったんですけど、
ひとまずはその番組のリサーチとして採用されたんです。 |
| 高須 |
その時は何人くらいのリサーチャーを取ってたの? |
| 高須 |
おー、結構な人数やなぁ。
それで、その他の同期の人たちは?
知らない間にいなくなっちゃったってパターン? |
| 樋口 |
同期は…今も一緒にやってるのは、冨永くんっていうのが
『報道ステーション』をやってたりしますね。
僕ら以外は…いつの間にか、でしたねぇ。 |
| 高須 |
で、担当番組が1クールで終わっちゃって、その後は? |
| 樋口 |
その後は、古舘さんについてずっとF−1やってたんです。
89年からセナが事故で死ぬまでぐらいの間ですから、
ちょうどブームだった頃ですね。
で、ブームなもんだからF−1番組がかなりたくさんあって、
それだけでメシ食えちゃうくらいだったんですよ。
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| 樋口 |
で、ずーっとF−1番組の構成やりながら、
横目でバラエティをやってる作家を見ては、
「僕もバラエティやりたいなぁ、やりたいなぁ」って
思って過ごしてましたね。 |
| 高須 |
その、バラエティをやりたいけどやれないっていうのは、
どれくらいの間続いたの? |
| 樋口 |
結構長かったんじゃないかなぁ…5、6年続いて、
30歳手前くらいまで。 |
| 高須 |
うわー、それはツライなぁ〜。
周りがばんばんバラエティつくってるのに、 自分はそこに入っていけない。
そーたにくんがいて、都築くんがいて…でしょう?
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| 樋口 |
ですねぇ、いろんな作家がおもしろい番組作ってましたからね。
でも、ある時、古舘さんに言われたんですよ。
「待つのも才能だぞ」って。
言われて「そうか」ってすぐ納得できるわけじゃなかったけど、
言われたから我慢できたというか…待つのも才能って自分に言い聞かせて
しばらく過ごしてました。 |
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