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 二十回目ゲスト 樋口卓治 さん(TAKUJI HIGUCHI)
名前 樋口卓治 さん
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オフィシャルBLOG http://blog.goo.ne.jp/takuzis1/
作家になったきっかけ
高須 さて、まじめな話もちゃんとしましょう。
樋口君は放送作家になったのって、何歳のとき?
樋口 88年ですから…24歳ですね。
高須 それまでは、特に就職せず?
樋口 今で言うところのフリーターやってました。
広告のバイトしてたんですよ。
それが、この業界に入るきっかけにもなったんですけど。
高須 どんなことしてたの?
樋口 求人情報誌を見て、他社がどんな雑誌に求人広告を載せてるか?
というのを 見る仕事だったんですね。
「あー、こんな記事が出てるなぁ」ってチェックしていくんですけど、
その中にある日「古舘プロジェクト」の広告が載ってたんですよ。
「放送作家募集」みたいなのが。 で、おもしろそうだなぁと思って、
びりっと破ってポケット入れて持って帰ったんです。
高須 へぇ〜、そんな広告とかでも募集があったんや。
樋口 だけど、放送作家?言われても、
どんな職業かまったく見当つかないじゃないですか。
例によって履歴書書いて、簡単な作文かなにかを書いて、
面接に行ったんですね。
高須 その頃、古舘プロジェクトっていうと、 どんな作家さんがいたの?
樋口 えーっと、伊藤さんとか、
  (伊藤滋之氏 〜『筋肉番付』『スポーツマンNo1決定戦』など)
山本さんとか
  (山本宏章氏 〜『おしゃれカンケイ』『ビバリー昼ズ』など)
腰山さんとか…。
  (故・腰山一生氏〜古舘プロジェクト創設メンバー)
高須 おー、錚々たるメンバーやねぇ。 で、面接どうやったの?
樋口 僕、補欠で受かったんですよ。
高須 補欠?
樋口 当時、古舘プロジェクト自体が番組を一本持っていて、
それのリサーチャー募集だったんですよ。
その番組自体は1クールで終わっちゃったんですけど、
ひとまずはその番組のリサーチとして採用されたんです。
高須 その時は何人くらいのリサーチャーを取ってたの?
樋口 6、7人ぐらいいましたよ。
高須 おー、結構な人数やなぁ。
それで、その他の同期の人たちは?
知らない間にいなくなっちゃったってパターン?
樋口 同期は…今も一緒にやってるのは、冨永くんっていうのが
『報道ステーション』をやってたりしますね。
僕ら以外は…いつの間にか、でしたねぇ。
高須 やっぱりなぁ、そういうもんやんなぁ。
待つのも才能。
高須 で、担当番組が1クールで終わっちゃって、その後は?
樋口 その後は、古舘さんについてずっとF−1やってたんです。
89年からセナが事故で死ぬまでぐらいの間ですから、
ちょうどブームだった頃ですね。
で、ブームなもんだからF−1番組がかなりたくさんあって、
それだけでメシ食えちゃうくらいだったんですよ。
高須 なるほどなるほど。
樋口 で、ずーっとF−1番組の構成やりながら、
横目でバラエティをやってる作家を見ては、
「僕もバラエティやりたいなぁ、やりたいなぁ」って
思って過ごしてましたね。
高須 その、バラエティをやりたいけどやれないっていうのは、
どれくらいの間続いたの?
樋口 結構長かったんじゃないかなぁ…5、6年続いて、
30歳手前くらいまで。
高須 うわー、それはツライなぁ〜。
周りがばんばんバラエティつくってるのに、 自分はそこに入っていけない。
そーたにくんがいて、都築くんがいて…でしょう?
樋口 ですねぇ、いろんな作家がおもしろい番組作ってましたからね。
でも、ある時、古舘さんに言われたんですよ。
「待つのも才能だぞ」って。
言われて「そうか」ってすぐ納得できるわけじゃなかったけど、
言われたから我慢できたというか…待つのも才能って自分に言い聞かせて
しばらく過ごしてました。
高須 なるほどなぁ。
武内絵美
久保田智子
杉崎美香
中野俊成
そーたに
おちまさと
鈴木おさむ
鮫肌文殊
村上卓史
都築浩
三木聡
倉本美津留
かわら長介
海老克哉
小山薫堂
大岩賞介
佐々木勝俊
堀江利幸
町山広美
高橋ナツコ
松井洋介
宮藤官九郎
樋口卓治
渡辺真也
田中直人
山名宏和
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合田隆信
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