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 十三回目ゲスト 大岩賞介さん(SHOSUKE OHIWA)
名前 大岩賞介 さん
1945年10月17日生まれ。
携わった主な番組 「欽ちゃんのドーンといってみよう!」 「オレたち!ひょうきん族」 「THE MANZAI」 「恋のから騒ぎ」 「踊る!さんま御殿」 「さんまのスーパーからくりTV」 「特命リサーチ200X」 「世界まる見え!テレビ特捜部」 「笑いの巨人」他
高須 僕、小学生の頃とか55号を見て育った世代なんですよ。
同級生が『これが一番!』という番組に出て、
欽ちゃんに頭はたかれた翌日から
学校の中で大スターになってたんです。
確か、鉄道マニアってことで出たんだと思うんですけど。
大岩 あぁ!なんっとなく覚えてるなぁ、鉄道マニアの小学生って
あったような気がするよ。
高須 つまり、その頃にはもう大岩さんは作家として
僕らが見てるテレビを作ってたんですよね。
そして今も作り続けてるんですから、ホントにすごい。
『発明将軍ダウンタウン』で一緒に仕事をさせて頂いて、
初めて会議でお会いした時、ちょっと緊張しましたもん。
だから、絶対いつか、この「御影湯」っていう作家対談に
出ていただきたかったんです。
もう、訊きたいことがたくさんあって。
今日はどうぞよろしくお願いしますっ。
大岩 いやいや、もう、こちらこそ。
 
高須 大岩さんって、何年作家をやられてるんですか?
大岩 23歳でこの世界に飛び込んだから…30年超えた、かな。
高須 さんじゅうねん!! すごいっすねぇ!(笑)
三十年前に、どうやってこの世界に入ったんですか?
大岩 この話はねー、いろんなところで喋っちゃってるからなぁ(笑)。
高須 いいんですいいんです、改めて聴かせてくださいよ。
大岩 僕は大学を中退してるんです。
大志を抱いていてね(笑)、それで辞めちゃったんだけど。
高須 えっ、どんな大志ですか?
大岩 ものすごく大袈裟でねぇ、これが。
『日本では死にたくない』って思ってたんだよ。(笑)
全く深い意味はないんだよ、この大志。
初めて飛行機に乗った時にさ、深い感動があったってだけで。
飛行機っつっても東京−大阪間だから大したこと無いんだけどね。
飛行機の窓の外から地上を見たらさぁ、
「あ〜、日本ってちっちゃいなぁ〜」って思ってね(笑)。
それでなんか深々と感じ入っちゃって、
オレは死ぬんだったら広いところで死にたいなぁ、と思ったわけ。
ちょっと誇大妄想入ってたね、確実に(笑)。
そんなことで中退しちゃったんだけど、それが22歳の時で…。
そうは言ったって何にもやりたいことなんか無かった。
だから、とりあえず25歳までにやりたいことを見つけて、
人生の第1段階を決めればいいか、と思ってたんだ。
高須 なるほど、三年ぐらいは余裕みて、と。
大岩 その頃、会社勤めしてた親友がいて
その親友の同僚の奥さんってのが、日本テレビに勤めてたの。
その奥さんの従兄弟っていうのが、作家のはかま満緒さん。
高須 ははぁー、そこに繋がるんですね。
大岩 ある時、親友から電話がかかってきて、
「お前、相変わらずぶらぶらしてんのか?」って話になって、
「ぶらぶらしてるよ」って答えたら、
「じゃあ、バイトやってくんないか?」って言われてね。
まぁ、俺もやることなかったから「いいよ」と答えた。
「ただし、三ヶ月だけだよ」って。
その時は、ほら、大志を実現させなくちゃいけなかったから(笑)。
高須 そうですね、いつまでもバイトやってられませんもんね(笑)。
期限付きでないと……。
大岩 それで、そのバイトが何かって言ったら、
はかま満緒さんとこで運転手やってくんないか、ってことらしい。
既に候補の人に声はかけてあるんだけども、
忙しいのか何だか知らないけどその人がなかなか来てくれない。
だけど、絶対に来てはくれると思うから、
とりあえず中継ぎの運転手をしてくれってんだよね。
で、三ヶ月ならまぁいいか、と思って、ひきうけちゃった。
それが、この業界のそもそものきっかけ。
高須 放送作家の運転手から、ですかぁ。
大岩 で、電話してあるから直接はかまさんところに行ってくれ、って
言われてね。紹介もなく、直接行ったの。
そしたら「ああ、君ね。よろしくね」ってなもんで、
こっちも「短い期間ですがよろしくお願いします」ってなもんよ。
あっさりしてて、いい加減な業界なのかなぁって思ったよ(笑)。
 
大岩 当時、はかま満緒さんってラジオの帯番組の司会をやってたんだ。
だから、銀座のスタジオまで毎日決まった時間に送り届けては、
その後は仕事の種類に従って別の現場へ送って…っていう毎日。
すると、そうこうしてるうちに僕のことを
"はかま満緒さんのところのお弟子さん"っていう風に
周りが思いはじめたのよ。
だけど、僕はただの運転手じゃない?(笑)
高須 またええかげんですねぇ〜(笑)。
大岩 「え?何がですか?」って訊いたら、
「とにかくこの業界は居ればそれだけで何とかなっちゃうし、
 まぁ、二年もすりゃそれなりにやってけるもんだから」って。
こっちにしてみりゃ、
この人は何をとぼけたことを言ってンだ?ってなもんでさぁ(笑)。
おかしな事を言ってるなぁって思ったよね。
だって、僕は三ヶ月だけの運転手なのに。
そうこうしてたら、あっという間に三ヶ月が過ぎた。
僕もそろそろ大志があるからね(笑)。
高須 そらそうです、なんたって大志ですもんね(笑)
大岩 英語でも勉強しに行かなくちゃ、とかなんとか思ってた。
だけども、代わりの運転手っていうのがちっとも来なかったのよ。
高須 あららら、大志の予定が……。
大岩 そうなんだよ、大志の予定が狂っちゃったんだよ(笑)。
それで、紹介してくれた親友に電話をかけたら
「いやいや、もう少し時間がかかるって言ってるんだよ。
 だけど、絶対来るから、お前もう少し頼むよ。絶対来るからさ。
 だって、今すぐ辞めなきゃいけないこともないだろう?」って
言われちゃってねぇ。
結局、もう三ヶ月やることになっちゃった。
高須 更新ですか(笑)。
大岩 そしたら半年経つでしょう。
すると、はかま先生のラジオのプロデューサーみたいな人達が、
「大岩ちゃんは結構長いの?」とか
声かけてくれるようになっちゃってね(笑)。
高須 (笑)。
大岩 「いやぁ、長くはないですけど…」
「でも、はかまちゃんとこに居るんだったら、
 何か書けるんじゃないの?」とかって話になってきて、
途中で横からテレビのプロデューサーみたいな人が入ってきてね、
「あー、彼ならできる、できるよー」とか勝手に答えちゃったの(笑)。
それで番組一本、関わってみないか?って話になってしまった。
当時のラジオ番組ってのは今と違って、フリートークなんて
そんなに無かったのよ。
きちんと台本があって、それを読むっていうのがラジオだった。
で、ラジオのプロデューサーが
「秋から始まるから台本よろしくね」って言ってきちゃって、
「そんなもの、書いたことねぇぞ」って思いながらも
引き受けちゃった(笑)。
高須 そういうのって、独特のこの業界らしい流れですよね。
流れというか、その場のノリというか。(笑)
大岩 台本なんて書いたこともない、とは言うもののさ、
今と違って型にはまってびしっと書くようなのが台本だったし、
はかま先生の番組の台本なんかは
やっぱりちらちら見てるワケじゃない?
「へぇ、こんな風にしてやってんのかぁ」って、眺めてみたら
「…………カンタンそうだなぁ」とか生意気に思っちゃってさぁ〜(笑)。
高須 みんなそう思ってこの世界に入ってくるんですね。
「これぐらいなら書けるなぁ」って思っちゃいますよねぇ(笑)。
めちゃめちゃ分かります。
だって僕もそうでしたから(笑)。
大岩 しかも実際書いてみたら、プロデューサーに
「いいじゃないの」とか褒められちゃって、
それこそもう、なんだかなぁ〜って感じさ。
高須 でも、自分の書いたものが台本って形で
印刷されてあがってくるのって、嬉しかったでしょう?
大岩 それがさー、あんまり嬉しくないんだよ〜。
高須 えっ、嬉しくなかったんですか!?
大岩 だって、やる気がないんだから。
むしろ、こんな簡単なものでお金もらえるのかよ、ぐらい
思ってたぐらいだから。
高須 うわぁ!いきなり思っちゃいましたか。(笑)
大岩 それで毎週毎週やっていくうちに、「しんどいなぁ」なんて
思って来ちゃったわけ。
素人だからさ、一本や二本は勢いで書けるけど、
毎週ともなると飽きてきちゃうんだよ。
だけど、それはもうお金をもらってスタートしちゃってるわけだから、
途中で投げ出すわけにもいかないじゃない?
しかも実際ギャラをもらってみたら、これが結構な額でさぁ(笑)。
ボロい商売やってんなぁーって(笑)。
高須 思いますねー、思っちゃいますよねぇ(笑)。
大岩 で、運転手と作家とってことで二足の草鞋みたいなことを
やってたら、そのうちに欲の方が勝ってきちゃったんだよ。
他の番組がまた一本増えたんだけど、そうしたらまた
「あらら、こんなにもらっちゃっていいの?」みたいな
ギャラが入ってきちゃってね、
「……こりゃあ、続けてやっちゃおっかなぁ」ってさぁ(笑)。
高須 なりますねぇ、なっちゃいますよねぇ(笑)。
大岩 で、その時は新しい仕事がおもしろいにはおもしろいから、
運転手がどうだとかはあんまり考えないようになってた。
そうこうしてたら、運転手になって一年が過ぎて、 その時にはもう
「こんなおいしい仕事をこのまま捨てることは 無いかも知れないなー」
ぐらいに思っちゃってた。
だけども、それでも僕はまだ業界の仕組みを何も知らなかったのよ。
番組っていうものが永遠に続くと思ってたの。
高須 終わっちゃうんですよねー、番組っていうのは。
大岩 終わるんだよー(笑)。そうなんだよ。
で、しばらくすると持ってたレギュラーが全部終わっちゃった。
「あー、番組って終わるんだなぁ…」とかって、その時に分かった(笑)。
まぁ、運転手はやってるから収入自体はあるんだけれども、
それだけをずっとってわけにはいかないでしょ?
そんな時にね、はかま先生から
「おい、お前ちょっと、欽坊を紹介してやるからさ」って 言われたんだ。
「えっ。欽坊って、あの欽ちゃんですか?」
「そうだよ、あいつは昔、俺のところに居たんだよ」って。
当時のコント55号って言ったら、それはすごかったからね。
高須 もう、その頃はものすごい時期に入ってた頃ですか?
大岩 うん、絶頂期の手前ぐらいかな。
当時、フジテレビで「日本初のバラエティカラー放送」なんて
始まった頃だよ。
高須 歴史ですねぇ…。
大岩 厚生年金ホールで収録でね、『世界が笑う』っていう番組だった。
その時に、忘れもしないなぁ…今の東京の麻布、狸穴町あたりの
クラブの二階に、はかま先生に連れて行ってもらって、
大将に会わせてもらったんだよね。
先生が「うちの大岩って言うんだ、よろしくな」って言ったら、
大将が俺を見るなり、言ったんだよ。
「君ねぇ、この人(はかま満緒)の前で言うのは
 ホントに申し訳ないんだけど、
 この人のところに僕も確かに居たんだよ、居たんだけどねぇ、
 最高に長くて1年半だよ。それ以上長くいたら、全部潰れちゃうよ?」
って、いきなりさ(笑)。
高須 そんなんものすごく怖いじゃないですかー。
大岩 そうなんだよ。当時、僕は洒落も分かんないから
「そうなんですかっ?」とかってびびっちゃってねぇ。
はかま先生は笑ってたけど、 大将は真面目な顔で
「覚えといた方がいいよ」とか言うし…、
うわー、俺あと半年しか残って無いなぁ、と思ったよ(笑)。
その後もしばらくはその助言をホントに真に受けてたからね。
こういう仕事がおもしろいなぁ、と思いつつも、
安定してないから、圧倒的に不安はある。
これをずっとやっていけるわけがない、と思ってた。
僕が子供の頃の「放送作家」って言ったら
青島幸男さんとかだったから、要するに作家っていうのは
才能とかが満ち満ちている人達の職業だっていうのが頭の中にあった。
ところが、そんな不安を抱えていることも知らずに、はかま先生は
「いやぁ、お前もそろそろ一本番組持って、
 しっかり独り立ちせにゃならんなぁ」とか言い出しちゃったんだよ。
こっちは大将の言葉があるから、
「冗談じゃないよー、早く抜け出して次にいかないと潰れるのにっ」と
この仕事自体を辞めたい焦りもあったから、もう大変。
だけど、何をしたいのかもよく分かってないから、また流された(笑)。
独り立ちの仕事ってことで割り当てられたのが、
当時数字が下がってきてて、はかま先生がテコ入れすることになった、
もう晩期の『シャボン玉ホリデー』だったんだよ。
そこでコントを書きなさい、書けた方がいいからってことになって
結局はやることになったんだけど…。
高須 『シャボン玉』でコント書いてたんですか!すげぇ〜。
だけど、コントっていきなり言われても、
最初から書けるもんでしたか?コント台本って。
大岩 最初に書いたのは時事コントだったからね、三十秒くらいかな。
そんなにコントコントした感じじゃなかったからねぇ。
ちょうど3億円事件があった頃で、 刑務所の所長室でのコントを書いたと思う。
高須 コント書いたりっていう、そういう作家の本領発揮みたいな仕事は
それが初めてだったと思うんですけど、
いきなり楽しくやれたんですか?
大岩 うん、そんなに楽しくないとかは無かったよ。
いわゆる青島一派の人達に混じりながらやってたけど、
それなりにかわいがってもらったからねー。
だけど、やっぱりそれもずっと続くワケじゃない。
三年ぐらい経って、シャボン玉も終わっちゃった。
高須 その頃は「シャボン玉」以外に、他の番組もやってらしたんですか?
大岩 コント55号の番組を手伝ったりして、3本か4本ぐらいかなぁ。
高須 ギャラは良かったんですか?当時。
大岩 全然良くなかったよぉ。
「シャボン玉」で当時、一本5千円だったもの。
高須 それは低いですよねぇ〜。
大岩 だけど、幸いなことにって言ったら変だけど、
ちょうどそれとスライドする形で、テレビで55号が
ガンガン来始めてたからね。
困ることはなかった。
高須 当時、すごかったですよね。ホントにすごかったですもん。
テレビのチャンネルひねると、コント55号が出てましたもんね。
大岩 当時、大将のところには若い連中がごろごろ
居候みたいにしていたんだよね、弟子みたいなのが僕も含めて数人。
だけど、そのまま居るだけじゃタダ飯食いじゃない?(笑)
大将も俺らのことをそうやって遊ばしておくわけには
いかないからってんで、ラジオの
『欽ちゃんのドーンとやってみよう』って番組に、
その若い連中を全部、作家として投入したってわけ。
番組があったからそこへ若手作家を入れたっていうよりは、
それだけの人間がごろごろしてるから、
こいつら使って何かやろうってんで始まったのが「欽ドン」だった。
  <注>
「欽ドン」は元々、ニッポン放送のラジオ番組が最初。
ラジオでの正式名称は『欽ちゃんのドーンとやってみよう』。
テレビ化されるタイミングで『欽ちゃんのドーンといってみよう』になった。
高須 それがパジャマ党だったわけですか。
大岩 そうそう。
高須 大岩さんとー、詩村さんと永井さんと鈴木さんの、
いわゆる四天王みたいなところで結成されたんですよね。
……ところでパジャマ党ってどこから名前がついたんですか?
大岩 これはね、大将の家で麻雀する時にパジャマ着るから。
僕らいっつも負けてたの。 大将は、本当に麻雀強いんだ。
負けず嫌いで研究肌だから、 強くなるのは当然なんだけど。
でも、それ以外にも勝てる秘訣がどこかにあるんじゃないかって、
みんなで考えてたんだよ。
したら、大将は仕事から帰ってきたら、
いつもすぐパジャマに着替えて麻雀うつんだよ。
で、そうか、勝つにはパジャマだ、と(笑)。
それで、僕らもパジャマを大将の家に持ち込んで、
着替えて麻雀するようになった。
で、パジャマ党、ってわけだ。
高須 なるほどなぁ〜。
武内絵美
久保田智子
杉崎美香
中野俊成
そーたに
おちまさと
鈴木おさむ
鮫肌文殊
村上卓史
都築浩
三木聡
倉本美津留
かわら長介
海老克哉
小山薫堂
大岩賞介
佐々木勝俊
堀江利幸
町山広美
高橋ナツコ
松井洋介
宮藤官九郎
樋口卓治
渡辺真也
田中直人
山名宏和
杉本達
片岡飛鳥
合田隆信
小松純也
加地倫三
タカハタ秀太
土屋敏男
高須光聖
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