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十二回目ゲスト 小山薫堂さん(KUNDO
KOYAMA)
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1964年熊本県生まれ。
日本大学芸術学部在学中より放送作家として活躍。
「カノッサの屈辱」「進め!電波少年」などで注目を浴び、1993年には第10回テレビジョンATP賞特別
賞受賞。
以後「料理の鉄人」ほか、深夜を中心に個性的な番組を数多く手掛ける。
2003年には「トリセツ」(テレビ朝日)が国際エミー賞を受賞。
現在のレギュラー番組は「東京ワンダーホテル」、(日本テレビ)「世界遺産」(TBS)、「ニューデザインパラダイス」(フジテレビ)、「トリセツ2」(テレビ朝日)。
一方、雑誌「BRIO」「dancyu」「東京カレンダー」「NAVI」や小説などの連載も抱え、J-wave、FM横浜では、ラジオ番組を企画・プロデュース、自らパーソナリティーも務める。
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| オフィシャルHP |
http://www.n35.co.jp/ |
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| 高須 |
俺、薫ちゃんと一緒に番組やった事って
一回しかないよね。 |
| 小山 |
チロリンさん(現・毎日放送プロデューサー)の番組でしたっけ。
結構前の話ですよね。 |
| 高須 |
でも、そんだけしか無いんよなぁ。
作る番組のタイプというか、毛色がお互い違うから、
当然っちゃあ当然なんやけど。
そん時に、少し話したぐらいだよね。
後はもう、廊下ですれ違うぐらい(笑)。 |
| 高須 |
だけど、そんなにテレビってやってへんでしょう、
薫ちゃんは。 |
| 小山 |
そうですねぇ。あんまりつくってない、かなぁ。 |
| 小山 |
いや…うーん…おもしろくないって言ったら
違うんだけど…。
何て言うんだろう…あんまり自分に合ってない、
と思ったりするんです。(苦笑) |
| 高須 |
でも、それ分かる気がする。
こないだ、アメリカ行く機会があって
機内で読むものいろいろ買っておこう、と思って、
『BRIO』っていう雑誌を買って読んだんよ。
したら、『小山薫堂の夏休み』とかって特集記事が
載っててさぁ…。 |
| 高須 |
「どんな放送作家やねん!」と思ったよ〜。
作家の中野くんが、その後、俺に言ったもん。
「高須さん、見ましたか?
雑誌のBRIOに薫堂さん、載ってるんですよ。
どうしてこんな事が出来るんでしょう!?」
って、一人でごっつい首を傾げてんねん(笑)。 |
| 高須 |
いや、他にもいろんな作家から、薫ちゃんのこと
聞いてるもん。
そいで、大概が
「はぁ…かっこよすぎるよなぁ、薫堂さんは…」って
溜息混じりで言うてんねんもん。
あれはかーなーりー、小山薫堂のポジションに
憧れてるってことなんちゃうかなぁ。 |
| 高須 |
「いいなぁ…薫堂さんのこのスタイル…。
あっち側って、いいなぁ…」ってさぁ(笑)。 |
| 小山 |
その「あっち側」って言うのが変だもの(笑)。
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| 高須 |
誰しもが放送作家っていう職業そのものに対して、
結構不安持ってるんやと思うわ。
それでどうしても、他の表現をしっかりできてるって面
で
薫ちゃんに倣いたい部分があるんやと思うよ? |
| 高須 |
薫ちゃんは元々、どういう流れで放送作家になったの? |
| 小山 |
大学時代に「文化放送」でアルバイトしてたんです。 |
| 高須 |
あ、もう学生時代からそういう現場に居ったんや。 |
| 小山 |
俺、大学、関西に行きたかったんです。
京都の土地に憧れていて、日大芸術学部と同志社大学に
受かったんですけど、受験の時に「日芸」の
女の子の方がかわいかった。 |
| 小山 |
それでもう「やっぱり東京の方がいいぜ〜」って
盛り上がっちゃって、それで東京の大学に 来ちゃったんです。
そこでたまたま文化放送のアルバイト募集の話が
先輩からあって、受け継ぐ形で雑用係のバイトを始めたのが、
この世界に触れた最初のきっかけかなぁ。 |
| 小山 |
番組の編集作業に立ち会ったり、番組にかかってくる電話を受けたり。
あとは出前頼んだり、コピー取ったり。
その時にコピー取ったりした台本を書いていたのが、
宮沢章夫さんとか、後は亡くなった加藤芳一さんとかで。
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| 高須 |
錚々たるメンバーやん!すごい!
そういう人達と大学時代から付き合いがあったって、
すごいことやね。 |
| 小山 |
その後、作家の長谷川勝士さんと仲良くなって、
当時長谷川さんは『11PM』をやってたから、
「君、やってみない?」ってことで関わった、ていうのが
作家としてのはじまり、ですかね。 |
| 小山 |
最初は、コピーライターになりたかったんですよ。 |
| 高須 |
うっはぁ〜らしいなぁ〜、もしかして糸井さんとかに憧れた人? |
| 小山 |
たしかに糸井重里…仲畑貴志…。
そういう人達になりたかった…かなぁ。
『萬流コピー塾』に投稿したこととかありました。
一回しか採用されなかったですけど(笑)。
何だったかなぁ…テーマはスコップだったと思うんだけど。
『掘るな。埋めろ。』とかっていうんだったかなぁ。
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| 高須 |
でも、採用されたん、一回だけやったんや(笑)。 |
| 高須 |
話を戻すと、『11PM』に入った最初の頃って
どんなことしてたの? |
| 小山 |
最初はもう、台本の書き方も分かりませんから
見て、覚えましたね。 |
| 高須 |
あ、やっぱり誰でも最初はそんな感じでしょう。
台本の書き方なんて、教えてくれる人いないもんね。
弟子で誰かに師事してた、てことでもなかったんでしょ? |
| 小山 |
そうですね、師匠っていう師匠は居ませんでした。
文化放送アルバイト時代も、台本のコピー取ったりする時に
「ふーん」って感じで読んだりしてましたから、
それで少しアドバンテージあったような無かったような、ぐらい。 |
| 高須 |
で、見てたら、これなら俺にも書けるぜ、とか思った?(笑)
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| 小山 |
あ、それ、ちょっとあった(笑)。
じゃないと、こっちの世界へ飛び込んでないでしょうね。
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| 高須 |
あるよね、そういう生意気な感じって。
で、台本の書き方を覚えながら、
いったいどんな新人作家さんやったん?(笑) |
| 小山 |
俺、当時バイトで稼いだ金でしょっちゅう遊び回ってたから、
少し「小山は流行に詳しいヤツ」みたいになってたんですよ。
だから、『11PM』の中での最初の立ち位置は
「君、大学生の立場で意見してよ」みたいな感じ。 |
| 高須 |
うーっ、あるよねぇ、そういうのって!(笑)
言われる言われる、学生作家は絶対言われるもん。
…だけど、薫ちゃんって、意外とそこのところを
維持したまま、ここまで来てるでしょう? |
| 高須 |
今でも、流行りもんのことが情報として欲しい時、
しかも流行の中でも、こう、上質のものを、とかって時には、
あ、薫ちゃんに訊こう、とかって俺、思うもの。
明らかにちょっと、
純粋な放送作家とは別の位置に立ってると思うねんなぁ。
マーケティングを理解している人間というか、
世の中の流れを見ることができる人、て感じやもん。
その能力を使う場所として、たまたまテレビっていう
感じかなぁって。
だって、テレビ以外のこと、すごくたくさんできてるやんか。
雑誌といい、ラジオパーソナリティーといい…。
それでも、自分の肩書きは「放送作家」でいいの? |
| 小山 |
そうですね。一応…(苦笑)。
あ、だけど近々、ちょっとおもしろいこと始めるつもり。
それをやりだすと、また肩書き違ってくるかもしれませんけど…。
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| 小山 |
「どうすれば、僕たちの暮らしはより快適になるのか?」
をテーマにしたライフスタイルラボ、なんですけど…。
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| 高須 |
すげぇなぁ。
ライフスタイルコンサルタント、みたいなことかぁ。
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| 小山 |
そんな感じで長ったらしく言い出すと、
放送作家よりもアヤシイ感じしますから、
ちょっと考えるところかな、肩書きって。 |
| 高須 |
せやなぁ…まぁ、放送作家ってのも、
だいぶアヤシイんだろうけどね。(笑) |
| 高須 |
そうそう、子供の頃は、テレビっ子だったりした? |
| 小山 |
んー、そんなにばりばり見てたって程でも無かったかなー。 |
| 高須 |
あー、どうしてもそこはあるよなぁ、この世代には(笑)。 |
| 小山 |
半端じゃなかったですからね、当時は、勢いが。
みんな見てましたし。
だけど、その笑いが今の自分自身に影響しているとは思わない。 |
| 高須 |
じゃあ、影響を及ぼしてるような何かって、
具体的にあるの? |
| 小山 |
影響、ですか…。んー。
…あ、倉本聡ドラマの「間」とかって、あると思います。
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| 高須 |
高須 はいはいはい…。
薫ちゃんの番組見てると、それもちょっと分かる気がするなぁ。 |
| 小山 |
あとはNHKの『未来への伝言』の
ナレーションタッチ、かな。
空気って言うか、流れって言うか…。
そういうので「いいな」と思ったものは、
なんか意識してたりする。 |
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<<補足>>
その後、糸井重里さんの『萬流コピー塾』の本を探してみたところ、
ありましたありました。
「シャベル」の回に、小山さんのお名前が。
『今週の佳作』
211p ページ右下
小山薫堂
『掘るためだけのシャベルじゃない。 埋めることだって……』
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