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九回目ゲスト 倉本美津留さん(MITSURU
KURAMOTO)
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1959年生まれ。放送作家・シンガーソングライター。
ビートルズの影響を強く受けていた倉本は、
82年ミュージシャンになる足がかりにと 制作会社のADとなるがすぐに構成作家に転身。
以来、「すとらびん式」「EXテレビ大阪」「BLT」
「TV広辞苑」「現代用語の基礎体力」「ムイミダス」
「未確認飛行ぶっとい」「ラジウム音線」など、
現在もカルトとして語り継がれる番組を次々生み出す。
そののち、その才を全国ネットに問うべく東京に進出。
「HEY!HEY!HEY!MUSICCHAMP」「ダウンタウンDX」
「松本紳助」などダウンタウン出演番組の多くや
「たけしの万物創世紀」「嗚呼!バラ色の珍生」
「伊東家の食卓」「笑う犬の冒険」 「平成日本のよふけ」などの番組を構成。
また、「松本人志の一人ごっつ」では松本の師匠の大仏の声として
出演していたり、「ダウンタウンDX」の“名前を呼んで”の
コーナーで、あらゆる無機物の声を担当していたり、
現在ではトスポくんの中身を演じたりしている。
またサイケデリックバンド「リビドー」を率いて、
坂本龍一作曲の『オフィーリア』で日本クラウンからデビュ一。
彼らが坂本龍一に会うためにニューヨークヘ渡るドキュメントが
「NONFIX」(フジテレビ)で放送された。 タイトルは「世界の坂本龍一を呼びつけた男」。
その後ソロとして『しやわせ』(「一人ごっつ」エンディングテーマ)
をキューンレコードからリリース。 また、著書として朝日出版から
楽しい辞書『どらごん〜道楽言〜』がある。 |
| オフィシャルHP |
http://www.ninpop.com/ |
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高須光聖が逆に質問されて、逆に答える。
ホストとゲストが逆転した、この「後ろ歩き」的違和感が
気持ちいいのか、悪いのか!? |
| 倉本 |
ほな、映画撮り〜な、映画だけ撮ったらええんやん。
そこへ向かって、真っ直ぐに。 |
| 高須 |
いや、だからですね、それはほら、大変じゃないですか。 |
| 倉本 |
何が大変やねんな、何にも大変なことなんかないやろ?
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| 高須 |
実は若い頃いくつかの映画会社に無謀にも
「映画撮りたいんですけど」って行ったんです。
勿論、全然相手にされなくて、どうしようかなって思ってた時に、
松本から電話がかかってきたんですよ。
その時、今何してんねん?って聞かれたから、現状を話したら
あいつが
「そんなんは遠回りや。そんなんやったら、
テレビから 番組作っていった方が絶対早いから」って言われて…・。 |
| 倉本 |
ほな、高須はずっとずっと映画がやりたいんやな? |
| 高須 |
いや、うーん…前哨戦っていうと、
今の作家業が一所懸命じゃないみたいで 気持ち悪くもあるんですが。
子供の頃から家帰ってきたら毎日見てたし、
お笑いも好きでしたったから、テレビも大好きなんですけど、
それでもテレビの仕事っていうものには、
あんまりピンときてなかったというか そんなに興味が無かったんですよね。
テレビが本当に映画に繋がるのかどうかも、
当時は業界の仕組み含めて ほとんど分かりませんでしたから。
断ろうと思えば、全然断れた。
でもね、松本からこの世界に誘われた時、あいつは
「高須が映画を撮るって言うんやったら、俺らが映画の仕事するから」って
言うたんですよ。 |
| 倉本 |
なるほど。お前が映画を撮りたいんやったら、お前を自分たちの
ブレーンにする代わりにダウンタウンで映画の仕事をしよう、と。
そうしたら、高須が映画を撮る早道になるやろ、と。
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| 高須 |
そうです。だからテレビの仕事、ダウンタウンのブレーン役って言うのが
決して歩く道として悪くないってことを松本は示してくれて、
だから、(作家を)やってくれへんかっていう流れだったんですよ。
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| 倉本 |
ということは、そんなに放送作家になりたくもなかったのに、
まぁ、でもそんなに嫌いでもないし、将来に繋がるかもしれへんし
ということで引き受けたんやな? |
| 高須 |
いや、でもテレビというメディアそのものへの嫌悪感は無いですからね。
ホントにテレビ自体は嫌いじゃなかったですから、さっきも言ったように
むしろ好きで見てる時間は多かったですし。
そして、若かったですからテレビと映画って言うものの正確な
カテゴリー分けが出来てなかったってのもあるんですよ。
なんとなく、同しもんのように思えてましたから。
それこそ、ディレクターとか放送作家とかが何の仕事を具体的に
やってんのかも分かってなかったですからね。
で、やってみよっか、と思ったんです。
そしたら、僕はやっていくうちに
「この世界で自分が果たして通用するのかな」と
悩みだしたじゃないですか。 |
| 倉本 |
確かに悩んでたよな。
いろいろ相談にも乗ったもんなぁ、オレも。
なんていうか、俺が高須の毒味をしたっていうのは、あるわな。 |
| 高須 |
(笑)。 確かにね(笑)。
確かに助かった部分、本当に多かったです。
大阪でしばらく作家として働いた後、辞めようかな、と思った時ですよ。
「やりたいこともできない、思っていることも通らない。
おもんないヤツばっかりで、意味無いぞ」とか思ってて、
もしかしたら、テレビはそういうところで、
僕には向いてないんちゃうかなって思い出して
で、その事を松本に真剣に相談したら
「もう少し頑張れ、お前は絶対いけるから、今の俺らには必要や」って
言ってくれて、考え直したんですよ。
当時、僕は「4時ですよ〜だ」しか知らなかった時期ですから。 |
| 倉本 |
あそこだけが、お前にとっての「テレビの現場」で、
いっさい言うてることが聴いてもらわれへんかったしな、実際。 |
| 高須 |
そうなんです…そうだったんです。
何を言っても否定されて、じゃあ俺って向いてないんじゃないか、
向いてないよな…とホントにもう、そう思わざるを得ないような
状況だったんです。
で、そんなタイミングで「ヤングタウン」の仕事がもう一つ入ってきて、
その現場で倉本さんに会って、話をしたわけじゃないですか。
会ってから話するまで、結構時間がありましたけど、
松本がね「あのおっさん、ちょっとおもろいで」と、言うてたんですよ。
それで、僕はその松本の言うてたことを、何かのきっかけで
倉本さんに伝えたんです。そしたら倉本さんが、
「ほんまにー?それは嬉しいなぁ、ありがとう」って言ってくれて。 |
| 倉本 |
当時は、松本とプライベートな会話なんか一切せぇへんかったからな。
そんな情報を耳に入れること自体が無かったし。 |
| 高須 |
それをきっかけに、少しずつ話をするようになっていったんですよね。
そしたら、一緒に他の仕事もするようになってしばらくしてから、
「お前、ちょっとおもろいやん」って言ってくれたんですよ、僕へ。
それで僕は多分、倉本さんのいろいろな部分を 盗み出したんだと思うんです。
で、そうこうしてたら「EXテレビ」に呼んでくれたんですよ、倉本さんが。 |
| 倉本 |
そうやったなぁ。
あの時、俺が高須をEXに呼ぶって時、
梅田(当時のチーフディレクター)はごっつい渋ってん(笑)。 |
| 倉本 |
そうやで。今まで言うてなかったけど、俺が
「おもろない奴が多い中でも、ちょっとおもろいヤツが居る!」と
お前を推薦してんのに(笑)、梅田は「いや、どうでしょう」って
絶対頷けへんかってんから。それを俺は
「俺がおもしろい言うてんねんから、入れろっ!」と推しに推して
お前を呼んでんから。 |
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