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八回目ゲスト 三木聡さん(SATOSHI
MIKI)
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1961年8月9日 横浜市出身。
現在、笑う犬の生活、 TV’S・HIGH、
シネパラ、 北半球で一番くだらない番組…などの番組でコントを書く。
2000年まではシティボーイズライブ・作・演出。
短編映画 「まぬけの殻」脚本・監督。 |
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| 高須 |
『生生生生ダウンタウン』で初めて三木さんと一緒に仕事した時、
初めて交わした会話がバイクの話で、 その頃はもう、
三木さんハーレーに乗ってたよね? |
| 三木 |
うん、その頃はもう乗ってたね。
「バイク何乗ってるんですかー?」とか訊かれて…。
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| 高須 |
「ハーレー」って言われて、「うわぁっ、すごいっすねー」
って何だか実のあるような無いような会話をした(笑)。
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| 高須 |
でも当時、俺は倉本さん(放送作家の倉本美津留氏)から
「三木は出来る作家だよ」と良く聴かされてたからね。
倉本さんは大竹さんのラジオを大阪でやってはったから、
ある程度三木さんの仕事っぷりを知ってたんやと思う。
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| 三木 |
そして、あの「生生生生」の終了が近づいたぐらいで、
俺と高須くんは良く話するようになったんだよね。
「あれがおかしい」とか「ここが変だからこうしたい」とか。
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| 高須 |
そうそう。そんなことを三木さんと深く喋りだしたのは、
もう終わりに近い頃やった。 |
| 三木 |
俺はね、それまであんまり同業者から刺激を受けることが
それほど無かったのよ。変な話なんだけど。
だけど、高須くんが放送作家としてダウンタウンと一緒に
東京へ出てきて、一緒に仕事をした時に、
松本人志が考える物事っていうのにももちろん刺激を受けたし、
それと同時に彼らと一緒におもしろいことを考えてきた
作家の人達っていうのにも、刺激を受けたよね。 |
| 高須 |
ああ、それは嬉しいなぁ。
でも、俺は俺で三木さんからはすごい刺激を受けたよ。
「そっか、そういう考え方があるのかぁ」って思いっぱなしの季節があったもん。 |
| 三木 |
くだらないドラマの設定とか、コントの話とか、
二人で良くやってたもんね。 |
| 高須 |
それがまた楽しかったのよなぁ、刺激も含めて。
俺は三木さんとは、うまいこと言われへんけども、
こう…「合う」って感じがするんよ。
好きなんよねー、この三木聡という人間がっ!
…いや、三木さんがどう思ってくれてるかは知らんけど(笑)。 |
| 三木 |
また、そういうことを言う〜。(笑)
ここで俺が「いや、合いませんよ」って言えっての?(笑)
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| 高須 |
いやいやいやいや(笑)。
でも、好きなんよー、うん。
分かるかー、田代よ〜、 この俺の思いがっ。 |
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このあたりで料理が続々運ばれてきて、短い忘年会がようやく幕を開けた。
カキフライ、根菜類の卵とじ、鯖の塩焼きなどをつつきながら、
高須さんはビールを速いペースで空けていく。
三木さんは「いつもの」と言ってウーロン茶を飲み、
レタスの水餃子やら、砂肝のガーリック炒めを頬張っていた。
おいしい匂いが立ちこめた小さな部屋に、
二人の会話の熱は 途切れることが無くて、
見ているこっちがなんだか 妙に幸せになってしまう。
もったいないほどの時間が、それでもゆっくりと過ぎていく。
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| 高須 |
俺がダウンタウン絡みではなく、同業者である
作家の人から誘ってもらった仕事ってのは、
三木さんに声をかけてもらった番組が 一番最初やったんちゃうかなぁ。
あれは本当に嬉しかったなぁ。。。
結果的には俺が大阪と東京の往復でへろへろになってて、
とても新しい仕事を入れられませんって事で
お断りしてしまったけど、でもマジで嬉しかった。 |
| 三木 |
それから『真っ昼魔王』で一緒になって(笑)。
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| 高須 |
でたっ!伝説の番組、真っ昼魔王(笑)。
俺らの担当曜日は「ダイナミック商会」という
物売る企画の曜日やったんやけど あの番組も、
すぐ終わってもーたなぁ。 最初はもっと違う企画やったもんね!? |
| 高須 |
今となってはもう遅いけど、俺と三木さんで、
ハンマープライスが始まる前に、
同じような企画をやろうとしてたこともあったもんね。 |
| 三木 |
あったあった。
「松田聖子の風呂の水を競売しよう」とか
「瀬古と鬼ごっこする権利」とか
「カズと缶蹴りする権利」とか 高須君言ってたもんね。
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| 三木 |
案を出して、決まりかけたのに、結局そういう
グッズを手に入れるだけの力が番組に足りなくて、
くじけちゃったっていう(笑)。 |
| 高須 |
三木さんは『はじめ人間ギャートルズ』に出てくる、
あの骨付き肉をまんま作って売りだそう、とか言ってて、
それもおもしろそうやってん。実際欲しいと俺は思うし、
買いに来るヤツも絶対居てると思ったし。
そしたらディレクターに「それは有り得ないでしょー」とか
一刀両断、却下されてもーた。 |
| 三木 |
でも、あり得たんだよね。
その後すぐに『ハンマープライス』始まったんだから。
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| 高須 |
ほら、見てみぃ〜ってなもんやったで、マジで。 |
| 三木 |
ただ、うちの方が売り物自体はバカらしかったよ。
「新沼謙二のラケットが欲しい」とか言ってたもん(笑)。
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| 三木 |
それはそれで味わいはあったはずなんだけどなぁ(笑)。
あれさえ始められてたら、あの番組はもっと違うところへ
行けてたかもしれなかったよね。 |
| 高須 |
もったいなかったねぇ。
だけど、こんな企画をバカな感じで考えて、
ずーっと喋ってるのが楽しかったよね。
今みたいに責任無かったし、数字数字って必死にならんでも良かったし、
そりゃもちろんあの頃だって取らなくちゃいけなかったんだけど、
でもどっかで自由があったなぁって。 |
| 三木 |
今みたいに瞬間視聴率とか分刻みの視聴率なんて、
俺達作家は見なくて 良かったもんね。関係ない!!って顔してた。
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| 高須 |
ただ、廊下ですれ違う人に「あれ、おもしろかったね〜」って
言ってもらえたら、それで良かった。 |
| 三木 |
この今の状態こそが「テレビの進化」って言われちゃえば、
それでしかないんだけどさ。
だから、俺らよりもう一つ若い世代の人達は、そのあたりの
戦略が上手だよね。 |
| 三木 |
俺らは「俺がおもしろいと思う方が大事なんだ」って
どっかで思っちゃうんだよねー、どうも。 |
| 高須 |
いや、でもそれが基本にないと、楽しくないと思うよ。
前にもテリー伊藤さんが「革命起こす!」って思って
テレビ作ってたって話を都築くんとやった時に、
やっぱりそれは自分で満足できるかどうか、
納得できるかどうかってのにこだわったからこその
強い意志なんやろうなぁ、って思った。
そこを貫いて、敢えて馬鹿げたことを打ち出していくっていうか。。。
そういう意味でも、三木さんの考える事って言うのは
筋通ってておかしいと思うもん。
「ごっつ」でダウンタウンの歴史を、真面目な俳優使って
再現して振り返ろうとか言い出したのも、三木さんやったよね? |
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あっ、あれは三木さんの企画だったんですか!?
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| 高須 |
そうやねん。
何で若い頃の浜田が石立鉄雄で、松本が江守徹…(笑)。
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| 三木 |
あれはねー、裏が結構大変でねぇ。
あのキャスティングには小松(当時、ごっつディレクター)の尽力があったんだよー。
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| 高須 |
みんな頑張ってたもんねー、あの頃は(笑)。
俺は、あれはすごくなんか…三木さんの考えることだなぁって
気がしたなぁ。ずらし具合といい、全部の空気感といい、シニカルさが。 |
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