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八回目ゲスト 三木聡さん(SATOSHI
MIKI)
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1961年8月9日 横浜市出身。
現在、笑う犬の生活、 TV’S・HIGH、
シネパラ、 北半球で一番くだらない番組…などの番組でコントを書く。
2000年まではシティボーイズライブ・作・演出。
短編映画 「まぬけの殻」脚本・監督。 |
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| 高須 |
まあまあ、そんな話もありながら、一応
放送作家同士の対談ってことなんで、本題に入りましょっかぁ。
三木さんっていつから、何のきっかけで放送作家に?
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| 三木 |
俺は、二十歳ぐらいの時から、この世界入ってるのよ。 |
| 三木 |
古い古い!だって『カックラキン大放送』の
エンディングと書かされたことあるんだぜ、俺(笑)。
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| 高須 |
うわぁぁぁっ(笑)。何でそんなに昔から?
何のきっかけがあったの? |
| 三木 |
興味なんて全くなかったのよ、この世界そのものに。
たまたま学校の掲示板か何かに、
【放送業界に興味のある諸君、来たれ!】みたいな
募集ポスターが貼ってあって、それは放送作家の事務所の告知だったんだよ。
そしたら、それを見た友達が そこの入社試験受けに行くっていうから、
俺は付き添いでついてったんだ。
まるきりアイドルのオーディションの付き添いみたいにして、
一人じゃ怖いから一緒に受けてくれよって言われて。
そしたら試験、俺が通って、そいつは通らなかったんだよ(笑)。
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| 高須 |
アイドル歌手や(笑)。
友達の方がかわいかった、とかって、必殺の黄金パターンや。
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| 三木 |
まさしくそう。
そしたら俺は、その作家さんの事務所でバイトすることに
なっちゃって。
それで、一年ぐらいはクイズ番組の リサーチャーをやらされたのかな。
昔は、今みたいに作家とリサーチャーの職業的な区別
が
はっきりついてなかったじゃん。だから、若い作家は
みんなとりあえずリサーチをやらされて、っていうパターン
だったわけよ。
で、一年半ぐらい経った頃にクイズ番組で一緒だった作家さんから
「竹中直人って人のラジオ番組始まるから、やらない?」
って誘われて。 |
| 三木 |
でも、まだその頃は竹中さんって言っても駆け出しで、
全然知名度無い頃だから「誰だ、その人?」ってなもんで(笑)。
一応、そのラジオ番組が一番最初の「作家らしい仕事」かな。
そのラジオでは、今、爆笑問題とか関わってる
高橋さんって作家さんと一緒だったりとか…、
あと後々岸田國士戯曲賞を取った、宮沢章夫さんって言う
劇作家の人がチーフをやってたりして、今思えば…って感じかなぁ。
そして、その現場へ原チャリで来てたのが
大竹さん(大竹まこと氏)だったっていう(笑)。 |
| 高須 |
そうなん? それが出逢い?
でもそれが腐れ縁になっていくねんもんなぁ… |
| 三木 |
その番組ではちょこちょことラジオドラマみたいなのが
あったから、それに出演って事で来ててそこで初めて会った。
当時もう『シティーボーイズショー』はやってたんだよ。
で、大竹さんは毎度毎度、原付運転して来てたんだよね。 |
| 三木 |
『ラジカル・ガジベリビンバ・システム』の前身だった
『シティーボーイズショー』が始まったのと同じタイミングで
その竹中さんのラジオが始まったんだと思う。
きたろうさんや斉木さんも収録来てたなぁ。
斉木さんは、相変わらず紙袋抱えてたっけ。 |
| 高須 |
うわぁ、もう、らしいなぁ〜(笑)。
そいで、そいで? |
| 三木 |
そんな流れがそのまましばらく続いてね。
俺はシティーボーイズショーとラジカルの演出助手に二回ぐらい、
つかせてもらったのよ。そしたら、二年ぐらいしてから
シティーボーイズはシティーボーイズで、ラジカルはラジカルで
って分かれて演りだした。 |
| 高須 |
じゃ、三木さんが本格的に演出としてつきはじめたのは、
その独立したシティーボーイズライブからってこと? |
| 三木 |
そう。その時初めて、作・演出って形でクレジットされたのかな。
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| 高須 |
そこまでのラジカルの芝居の段階で、宮沢さんから
演出のノウハウを学んだの? |
| 三木 |
そうそう。
その時初めて「あぁ、芝居っておもしろいんだ」って
分かったんだよ。
それまでは芝居ってモノ、そのものが大嫌いだったもん。
子供の頃に「木馬座」とか見させられて、
「お芝居って、なんでこんなに胡散臭いんだろう」と思ったからね(笑)。
「子供をなめるなよ」とかさ。 |
| 高須 |
じゃあ、その頃からもう、コントを書いてたの?
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| 三木 |
そうなるかなぁ。
事務所に学校の先輩にあたる人がいて、その人が俺の
コントの師匠でね。
その人は、ドリフターズで 志村けんさんの座付き作家を当時やってた人で。
だいぶめちゃめちゃな人格の人だったけど(笑)、
やっぱりだからこそおもしろい人で、すごいパワーの持ち主で、
自分一人で『ドリフ大爆笑』から『全員集合』の台本まで
全部書き上げちゃうような人だったよ。 |
| 三木 |
たぶん、高田文夫世代の作家さんにあたるんじゃないかな。
で、その人に、俺はコントの設定案とかをちょこちょこ書いて
提出してたの(笑)。 |
| 三木 |
今も昔も設定案書いてるよなぁ、俺。
変わってねーよなぁ。 |
| 高須 |
いや、でもそういう設定案とかに関しては、三木さん
結構誉められたでしょう?
「おもしろいねー、君ー」とかって好かれそうな気がするもん。 |
| 三木 |
どうだろうねー、基本的に変わってたってのは
あったかもしれないけど、当時誉められるってとこまでは
行かなかったよー。 |
| 高須 |
いや、でも俺、三木さんの設定案って、ものすごい好きやったなぁ。
『ごっつ』の会議とかって、コントって喋りながら
作ってたやん。
小松(CXのディレクター)と作家陣とが 顔つきあわせて、
ああじゃない、こうじゃないって言いながら。
ある時に、みんなが卵がどうとか、いろんなことを言ってたら、
三木さんが何の前振りも無しに、
「天狗のコントってどうかな」とか言い出してさぁ(笑)。
みんなはピンときてなかったかもしれないけど、 あれはおもろかったなぁ。
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| 三木 |
その時それは採用されなかったけど、会議の5年後に
シティーボーイズので、そのネタやったもん。
どうしてもネタに詰まったから(笑)。 |
| 高須 |
あー、そうやわ!!あったあった!!
すんごい気を遣う、卑屈な天狗の話(笑)。 |
| 三木 |
何かある度に「俺の鼻が長いせいだろ…」って言うの。
鼻の長い自分(天狗)にコンプレックスを持っている天狗の話。
金を借りてて、返せって迫られたら、
「お前は俺が天狗だから、そんなことを言うんだ…」。
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| 高須 |
「違うよ。天狗だからじゃねーよ」って(笑)。
俺はそれをすごく覚えてて、おもしろいなぁと思った。
でも、会議でそれはいまいちみんなの反応薄くって、
採用されへんかったんよねぇ。 |
| 三木 |
おかげで5年後、すこし助かったけどね(笑)。
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