|
五回目ゲスト 鮫肌文殊さん(MONJYU
SAMEHADA)
|
|
|
1965年神戸生まれ。
高校二年の春、雑誌「ビックリハウス」の第17回エンピツ賞(小説)受賞を皮切りに、賞を総なめ。
若干19歳で短編小説集「父しぼり」(長征社)を発表。
NHK特集への出演を機に中島らも氏の知己を得て、
放送作家活動をスタートする。 1990年、松尾貴史の勧めで上京。現在に至る。
パンクバンド『捕虜収容所』のボーカルでの音楽活動。
テレビメディアに関するエッセイ等でも活躍中。
<レギュラー番組>
進ぬ!電波少年 メレンゲの気持ち ぐるぐるナインティナイン
さんまのスーパーからくりTV しあわせ家族計画 ガチンコ!
ぷらちなロンドンブーツ 稲妻!ロンドンハーツ
ASAYAN |
| オフィシャルHP |
http://www.furutachi-project.co.jp/sakka/sam/ |
|
 |
|
|
| 高須 |
なんか、こうやって改めて「対談」っつっても、
自分の素性のようなものを話す機会って、初めてやんなぁ。 |
| 鮫肌 |
これは素性を話すの??どんなことを話すの?? |
| 高須 |
いや、もう、たらたらっと、自然に自由に。
放送作家になるまでの話とか、今の話とか、 それから今後の話とか。
|
| 高須 |
ところで、なんで「さめはだもんぢゅ」なの?? |
| 高須 |
俺、自分の名前が「みつよし」で、漢字をそのまま音読みすると
「こうせい」って読めるやんか。 そしたら、時々
「あっ、構成と光聖でかかってるんですね、うまいなぁ」
とか言われて、がくぅぅっ、と来るのよ(笑)。
そんなひねりのないペンネームつけるかっちゅーねん!!
でも、本名やし、
時々鮫ちゃんみたいなペンネームで やっといたら良かったなー、と思ったりするよ。 |
| 鮫肌 |
なりたかったんですよ。絵書くの好きで。
で、『少年チャンピオン』に投稿したりしてて。
そしたら本名で投稿して、例えばちらっと名前が掲載されても
それはインパクト無くてダメだな、とか途中で思たんです。 |
| 高須 |
え。あのー、訊いたこと無かったけど、本名は?? |
| 鮫肌 |
でしょ??(笑) それで、これは何か考えな、と思ってね。
たまたま当時読んだ 『ブラックジャック』の中の話で、皮
膚一面鱗になった鮫肌の女が ブラックジャックにどうにかしてくれ、
とやってくる話があって、 なんかむやみに台詞に
「鮫肌が、鮫肌が」と出てきてたんです。
あー、これはまたインパクトのある言葉やなぁ、と思って
よしこれにしよう、と。
だけど名字「鮫肌」で、下が「ひでき」じゃ、それはまた
あかんやろ、と思ったから、
広辞苑で言葉をいろいろ探して、 結果「3人寄れば文殊の知恵」の
「もんぢゅ」を持ってきたという…。 |
| 高須 |
で、「鮫肌文殊」。
やっぱええよなー、すぐ覚えてもらえるし、賢そうやしー。
俺もそんなんしといたら良かったぁ。。。 |
| 鮫肌 |
本名がだいぶひねってあるからええやないですか(笑)。 |
| 高須 |
さて、そんな鮫ちゃんが、放送作家に足を踏み入れたきっかけって
何やったの??
そんなことから聴いていこうか。 |
| 鮫肌 |
えーと、きっかけは二十歳の時かなぁ。。。
その当時、俺は『ビックリハウス』で賞を取ったり、本を出したりとか
してたから、
ある時大阪ローカルの若者向けの討論番組に それがらみで出さしてもらって、
そこで中島らもさんとお会いしたんです。 そしたら、らもさんに
「今度オレ、自分の司会で新しく番組やんねん。
そこにブレーンで参加してくれへんか??」と言われたんです。
|
| 鮫肌 |
そうそう、ホントにいきなりって感じで。
それが、よみうりテレビでやった『なげやり倶楽部』っていう
番組で、
今思い出せば、それが最初の作家らしい仕事。
これは未だ伝説のカルト番組って言われてるんやけども(笑)。
|
| 高須 |
その時は職としての「放送作家」は考えへんかったの?? |
| 鮫肌 |
当時はまだ、物書きで食っていけたらええなぁ、という
漠然とした程度やったかなぁ。。。
そこまで明確には思ってなかった。 とりあえず、大学行きながら
その番組でコントを 書かしてもらったり、ネタ出しをやったりして…。
そのコントの台本も全部イラストで描いてみたりしてたなぁ(笑)。
4コママンガみたいにして描いて、それをみんながおもしろがってくれたり。
その『なげやり倶楽部』には、キッチュ(松尾貴史)さんも
出演してはったり、
あと、ラジカルガジベリビンバシステムの メンバーが全員と、
いとうせいこうさんも出てたんですよ。
((注)ダウンタウンも出演して、すぐ去りにけり) |
| 鮫肌 |
ホントにびっくりするようなメンバー集まってて、
そんな連中でピーピーピーピーと放送禁止用語だらけの
コントをやってみたりとか、えらいことになってましてね(笑)。
また、これが深夜じゃなくて土曜日の夕方五時からやってたっていうのが、
もっとおかしな話で。
案の定、誰も見てくれなくて(笑)、1クール保たへんかった。 |
| 鮫肌 |
でも、そこでいろんな人に知り合えてたんですよ…
後々お世話になるような、たくさんの人たちに。
だけど、そんなこんなで番組自体は十回ぐらいで打ち切られてしまったから、
知り合った人たちとも知り合っただけでそのままになってしまって。
で、後はもう、自由にふらふら〜としてました。
言うても、まだ大学生やったし。 |
| 高須 |
そんな、四年制の大学に勉強して入ったんやから、
どっかちゃんと就職しようとか、展望無かったの?? |
| 鮫肌 |
なんにもなかった!! 今でも覚えてるけどー…
大学四年の夏休み明けてから、 俺スキンヘッドにしてもーて、
それで学校行ったら、周りから
「お前、そんな頭で就職どーすんねん!!」 って言われて、
その時初めて、 「あっ、みんな就職活動してたんか!!」
と気づいたぐらいに、なんかのんきな人やったんですよ(笑)。 |
| 高須 |
丸坊主はあかんわなぁ(笑)。 あれっ、その当時はパンクバンドの方は?? |
| 鮫肌 |
やってました、やってました。
だから、大学生の頃はバンドの「捕虜収容所」ってのと、
地元のミニコミ誌のエッセイ書くのをずっと生活のメインでやってたかな。
バンドもすごかったんですから、今考えたら。
対バンの相手がボアダムスとか、少年ナイフとか…。 |
| 鮫肌 |
ボアダムスの流れの人たちからよく声かけてもらって、やったりしてたんですよ。
でも、いろいろやりつつも、全部がどっちつかずでね、
バンドのメンバーもそつなく就職していってしまって…。
またそれがパンクバンドなのに、
就職先がギターはNECで、 ドラムは関西銀行やもん(笑)。 |
| 高須 |
(笑)。 ええやんかー、しっかりした安定人生のパンク(笑)。 |
| 鮫肌 |
で、大学出たら俺はフリーターやから、
なんっか バンド自体バランス取れずにギクシャクしはじめましてね。
フリーターとは言えど、最低限生活の分だけ働いて、
後はもう何もせぇへん。
生活費と酒代だけを稼いで、 家に居るーみたいな生活してたら、
アル中みたいになってしもて。 |
| 高須 |
鮫ちゃんが、夕方の会議に出てきて「おはよーう」言うたら、
明らかに酒くさい時あるからな。 |
| 鮫肌 |
毎日、大体焼酎のボトル一本あけるぐらい。。。 |
| 鮫肌 |
それでも減った方で。
最近はもう、酔っぱらうと自分が怖いから 家に帰ってから一人で飲みますけどね、
昔は仕事帰りに 外で飲んでてひどかった。 二十代はひどかった。
ホンマ、しゃれになってなかった。
歌舞伎町で酔っぱらって、怖い人達と喧嘩になったりとか(笑)。 |
| 鮫肌 |
そんで、いよいよこれはやばいぞと思い始めて、とりあえず
家で飲むようにした。 |
| 鮫肌 |
いや、時間も遅いから勝手に一人で、
自分の番組のオンエアチェックと、
お気に入りのパンクのビデオを見ながら…。
だから結局自分の番組のオンエア、いまいち覚えてないんよ(笑)。 |
| 鮫肌 |
ほんまにあかんのよ〜。
おとといなんか、あまりのパンクのビデオの出来の良さに
見ながらしびれてしまって、ついついボトル一本半あけてもて、
久しぶりに昨日一日、使いもんにならんかった(苦笑)。
会議行っても頭回れへんのよ。肝臓が肝臓の形に痛むのよ(笑)。
で、昨日は『からくりテレビ』の会議やってんけど、
そこでまた、
同じ飲んべぇの高橋さんって作家に 「鮫ちゃん、行こうよー」と誘われて。 |
| 鮫肌 |
行ってしまいました…。 でも抑えたよ?? 焼酎の水割りを三杯程度で。
で、飲みに行こうが何しようが、普段は家に帰ったら絶対飲むねんけど、
昨日はさすがにそのまま寝ました。 |
| 高須 |
あかんよー、死ぬでー。
俺、最近自分でも感じるもん、回復力無くなってきてること。
以前は、明け方まで飲んでも昼過ぎにはどうにか頭はっきりしてきて、
飯も食える状態まで戻せてたけど、最近は抜けないもん。
明日休み、と分かってなかったら、まず飲めない。 |
| 鮫肌 |
それでも、若い頃はもっとひどかったよ。
昔「キングトリス」っていうウィスキーの、でっかいボトルあったん
知ってます??
2リットルとか、それ以上あるでっかいとっくりの
安ウィスキー。
金がないから、ああいう安くて量のある酒に流れて、
「これやったら一ヶ月保つだろ〜」と思ってホッとしてたら、
3日で空っぽ。(笑) |
| 鮫肌 |
で、こんなんやったらアル中で死んでしまう!!
と、自分で自分が 怖くなってね。
でも、それでも他にやることないから 飲むしかない…の毎日。
二十歳から二十五歳で東京に出てくるまでの5年間は、
ほんとにそんな感じで。。。 |
| 鮫肌 |
半同棲って感じで、二十歳から五年、一緒に住んでた。
食わせてもらってた感じです。 |
| 鮫肌 |
「王将に飯食いに行くから、250円くれ」言うて、
そんなことだけで大ゲンカしてたりしてた。(笑)
迷惑かけっぱなしやったなぁ。 |
| 鮫肌 |
当時住んでたアパートが「幸福荘」って言うんですけどね、
家賃14000円で、明らかに廊下とか傾いてたんですよね。
|
| 鮫肌 |
サッシも外れてて、雨とか吹き込んだりして。
今でこそ笑えるけど。 |
| 高須 |
そんな鮫ちゃんも、今や東京に一軒家を買って!!
奥さんも幸せなわけやね〜。 |
| 高須 |
いや、なかなか居らんでぇ、家を買ったパンクなんて(笑)。 |
| 高須 |
究極の安定パンク!! でも冗談じゃなく、立派やと思うなぁ…。 |
| 鮫肌 |
あ、その「幸福荘」の話なんですけどね、まだあるんですよ。
|
| 鮫肌 |
そこはポストが無くてね、 これじゃ郵便物が届く時に困るなぁ、と。
だから自分の部屋の扉に、表札代わりに画用紙に「鮫肌文殊」って
書いて、
イラストも描いて貼っつけようと思いたったんです。
そしたら、郵便屋さんもここだな、と持ってきてくれるだろうと。 |
| 鮫肌 |
で、早速画用紙に書いて、誇らしく画びょうで扉の表の真ん中に留めつけて
「よし!!」と思って、部屋の中に入ったらね。
画びょうの針の先っちょがドア突き抜けて、 部屋側にちょろっ、と飛び出してて。 |
| 鮫肌 |
ドアちゃうやんけ!! ベニア板やんけーっ!! っていう。。。 |
| 高須 |
さすが14000円の「幸福荘」やね。すっごいなぁ〜。 |
| 鮫肌 |
例えば、朝。みんなが仕事や学校に出かけそうな時間に
じっと聞き耳を立てても、「幸福荘」中、誰も出かけるような
音がせーへんのですよ。し〜ん、としてて。
つまり、仕事に行ったり、学校に行ったりするような連中
一人も住んでへんねん(笑)。
年金生活のじいさんばあさんとか、どうしようもない若者とか、
そんな住人ばっかりで、 結果誰一人「幸福」ではなかったらしい(笑)。
もちろん俺もその一人で、ホントに二十五歳まで そこに住んでた三年間は
「なんとなく生きてる」って感じでした。 |
| 高須 |
あっ、俺もやったやった。ポリッシャーの使い方とか、
手慣れたもんやで(笑)。 |
| 鮫肌 |
俺もやりました、やりました。
放送作家でポリッシャー使える人って、多いですよね。 |
| 高須 |
とにかく時給のいいバイトに流れてたなぁ、学生時代は。
あ、俺、ファッションマッサージの店長候補になったこともあるわ(笑)。
|
| 高須 |
大学の先輩から受け継いだ伝統の高額バイトでさ、
当時で時給1200円。
めっちゃ高かってん。 その店はのぞき部屋とファッションマッサージが
一緒になった ようなお店で、そういうのは当時大阪では珍しかったんよ。
だから、お客さんもいつもいっぱいで、女の子も結構
かわいい娘が揃ってたし、
かなりの人気店やったなー。 |
| 高須 |
コースの案内係。それとたまに、ライバル店の調査。
近くの、別の風俗店に客として行って、どんな店内で、
どんな女の子が居て、どんなサービスで…というのをチェックすんのよ。
その時間も時給は出るし、おまけにそのライバル店に入る金も経費で出て。。。 |
| 高須 |
いや、でも、やっぱりイヤなことも多いんよ。
もちろん自分がどっかの店のバイトで潜入調査中ってことがばれたら、
それなりに怖〜い人が出てくる時があるらしいし、案外大変。
だって気ぃ遣いっぱなしやもん。
おまけに、自分の店では女の子の使いっ走りみたいなこと
やらされて、
それがたまらなく恥ずかしいのよ。
それこそ「お客さんに下着売っちゃったから、買ってきて〜」
って言われたら、
それはご希望通りの下着を買いに行かなあかんし、
「生理用品買ってきて〜」って言われたら、
男一人で 薬局に買いに行かなならんしで、もー恥ずかしいったら無かった。 |
| 鮫肌 |
時給が高い分、それはそういうことはあるでしょうねー。
つらいなぁ、ちょっと。 |
| 高須 |
で、そのうちもう一件、姉妹店を出すから、
「高須君、店長どうやー」って、
そこの店長さんに言われて、 「儲かるでぇ」と笑顔で言われてしまって。
それでもう、こんなんで一生終わるのはやばい!!と思ったから、
その話を断って、そのバイトも辞めて、『カンテグランデ』に
移って、
まともなことで一生懸命稼ごうと思ったわけ。 |
| 鮫肌 |
そのカンテグランデで、結局いろんな出逢いがあったんでしょう?? |
| 高須 |
そうそう。 トータスやケイスケ、ジョンBなどの
ウルフルズメンバーに はじめて会うたんもあの店やしね。
彼らに限らず、プロを目指してるバンドの連中や、
ダンサーや役者くずれ、
それにデザイナーや カメラマンのタマゴとかがあの店にはたくさん集まってたから、
それに刺激されたってのは確かにあった。
俺もすごく「映画撮りたい!!」って思ってたし、
同じように 映画を志してる芸大のお客とかも多かったりして…、
とにかくあてのない夢だけが膨らんでた。
でもそれが、いつか実現できそうな根拠のない自信だけは、なんかあって…。
いずれにしても、その夢を実現させるのにカンテって存在は
俺にとっては大きかったなぁ。 |
| |
今回のお話に登場する「カンテグランデ」は、
大阪にあるチャイとケーキ、他諸々がおいしいお店。
ウルフルズの「大阪ストラット」の歌詞にも出てくる元気なお店。
興味津々なあなたはホームページを見て、もっと納得しましょうか。。。 |
|
|
|
|
|
|
|
|