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四回目ゲスト 小松純也さん(JYUNYA
KOMATSU)
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| 高須 |
でも、俺はずーっと小松が関西人やって知らんかったのよ。
だって、ちゃんと標準語喋ってるしさぁー。 |
| 高須 |
関西から、なんでまたフジテレビに入社したの?
だって、小松は学生時代、十八歳の時に放送作家やってたんやろ?
京都大学に居った頃から、やってたよね? |
| 小松 |
十八歳で京都大学入って、劇団の「そとばこまち」に入って…。
その頃、そとばこまちってラジオやってたんです。
『おっと!モモンガ』っていうんですけど。 |
| 小松 |
それもやってたんですけど、
最初は僕、役者でやってたんですよ。 |
| 高須 |
えええぇぇっ!?
そんなん、俺全然知らんかったわ。 |
| 小松 |
言ってませんからねぇ(笑)。
役者として、そのラジオ出てたんですよ、僕。
そしたら「お前、なかなかおもろいなぁ」っていう話になって、
「本もちょっと書いてみたら?」って言われて、
ふあ〜っと書いてみたら、割と受けが良かったんですよ。
ラジオのコントをそうやっていっぱい書いてたら、
テレビの仕事もちょくちょく来るようになって。 |
| 高須 |
そこで、もう、倉本さん(倉本美津留氏)や長さん(かわら長介氏)と
仕事してたんやろ?作家として。 |
| 小松 |
『週刊 テレビ広辞苑』っていうお笑い番組で、
一緒にやらしてもらってました、はい。
昨日も倉本さんに会って、喋ってたんですけど、当時から
倉本さんも長さんも、今みたいな感じやったんですよ。
僕はそれを見て
「なんや、テレビって変な人達多いなぁ」って思ったりしてて(笑)。
当時、倉本さんは巨乳の話をしてて、
昨日も収録の合間で、巨乳の話をしましたね。(笑)
なんや、16年間変わってないんかぃ、みたいな。 |
| 小松 |
で、そんなこんなで他にも関テレの番組で仕事さしてもらったりとか、
いろいろと、幅広ーく…。 |
| 高須 |
その頃って、作家やりながら、そとばこまちで役者やって…って感じ?
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| 小松 |
そうです。とにかくコントの台本ばかり書いていて、
舞台の脚本をちゃんと書いたのって、
20歳ぐらいになってからでしたけど。 |
| 高須 |
だけど、まぁ作家としてはコント書きまくって上々な感じで、
ほんなら、役者としてはどんな感じやったん? |
| 小松 |
芝居の方は、18から舞台に出てたんですけど、
いざ舞台に出てみるとですねー、演出のヤツがどうのこうのと
芝居をつけるでしょ?
いちゃもんつけてくるわけですよ、自分の演技に。
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| 高須 |
そんなん当たり前やんかっ。(笑)
芝居やし、小松は役者で、相手は演出家やもん。
そういう役割分担で作り上げるんやろ?演劇って。
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| 小松 |
だけど、いざ舞台に立ったらそれがごっつい腹がたつわけですよっ。
「お前になんで言われなあかんねんっ」って思っちゃってですね。
まー、演出の人に言われるのは構わないとしても、
演出助手に「演技が違う」とかって言われたりすると、
それはもう、腹がたって仕方がない!
それでも我慢してやってましたけど、
しばらくやってみて分かったのは、
自分で描いた台本を演る時が、一番うまく演技が
出来るんだなってこと。 |
| 高須 |
まぁ、台本って自分の思った口調や、間で書くからね。
確かに、自分が一番うまく表現できるわなぁ。 |
| 小松 |
そう。それが一番得だな、って気がついて、
自分で書いた台本を演出まで自分でやるようにしたんですよ。
演出兼役者で舞台に立ったわけです。
そしたら今度は、思う存分役者に演技つけるってことが
できなくなっちゃって。 |
| 高須 |
自分も演技しとるからね、同じ現場で(笑)。
自分の演技力を棚に上げるわけにはいかんもんなぁ…。
小松って、自分の役者としての資質については、どう思ってたの?
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| 小松 |
うーん、えー、何て言えばいいのかなぁ…。
自分の演じてる姿を、客観的に捉えることの出来る芝居やったら、
できたんですよ、それなりに。
ただ、僕は入り込む芝居っていうのが、どうしてもできなかった。
それは、役者としてやっていくには力不足なんですよね。
だから主役とか絶対出来なかったんですよ。
しょーもない食い逃げの役とか、老人役とか、オカマとか、
いわゆる「怪優」の部類に入るようなもんばっかりやってましたね。
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| 高須 |
分かるよ、それ。小松の演出、そんなんばっかりやもん!
小松の芝居のつけ方、すごい怖いねん!(笑) |
| 高須 |
じゃあ、役者としては脇をやって、
主に作家として劇団やってた、て感じの学生時代なんやね?
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| 小松 |
そうですねー、ラジオとテレビやってましたから、
学生のくせに結構収入あったりしましたしね。 |
| 高須 |
おぉ、かっこええやんかー。
学生なのに、ラジオをなんっか分かってて、
テレビもなんっか分かってて、
そんな、業界を知ってる学生って、ちょっとかっこええやん? |
| 小松 |
そうですねぇ、自分ではちょっと
「モテモテモード」に入ってました(笑)。
あの頃が、僕の人生のピークでしたねぇ(笑)。
だけど、そのうちむちゃくちゃになっていったんですよ。 |
| 小松 |
いや、忙しすぎて。
ラジオとテレビのコント書いて、構成台本書いてってやってたら、
短いのも含めてですけど、週に50本ぐらいコント類を
書いてたんですわ。
雑誌の小さい記事なんかも書いてたし、ごちゃごちゃごちゃごちゃと
とにかく書きまくってて。
そしたら、怒濤の〆切と全く同じタイミングで
舞台の公演の本番が重なって、それには僕、役者で出てたんですよ。
割と大きな公演で、僕は民衆に悪政をしいてる悪い親玉
みたいな役で、
舞台では高いところに上がって、群衆を見下ろしてって
シーンがあるんです。
ずっと長いこと、上から下の民衆を睨みつけてるだけで
台詞とかあんまり無いんですけどね(笑)。 |
| 小松 |
その日はもう、徹夜明けの日の夜の公演で、
僕は「オールピー」っていう
今で言う眠気覚ましのモカみたいな薬を一晩に何本も飲んで、
必死で目を開けてコント書いてた日の昼だったんです。
そうしたら、舞台の上で突然、
ゲロがぐあぁぁって喉元に上がってきちゃってですねぇ…(笑)。
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| 小松 |
仕方がないから、ダダッと舞台袖へ入って、ゲーーッ!!って
舞台袖へぶちまけて、そいでまた慌てて舞台戻って、
キッと役に戻ったりして…。 |
| 小松 |
で、いよいよこれはダメだ、と思ったんですね。
どれかをやめなくちゃダメだ、って。
それがもう、大学四年の頃でした。
このまま就職活動もしないで、放送作家の見習いを続けていって、
流れで放送作家になれたらいいや、と思ってたんですよ。
だけど、よく考えたら大阪の若手作家なんて、もらえるギャラは
たかが知れてたじゃないですか、当時。
体壊して働いてる割には、どうも儲からないなぁって思えてきて。
たまたまその頃、先輩でフジテレビに就職した人がいて、
話を聞いてみたら、これが結構いい月給をもらってるわけですよ(笑)。
コントも自分で書かずに、そんな給料もらえんのかぃ、
みたいなことを思ったりもしまして(笑)。 |
| 高須 |
そら、キー局の社員と大阪の若手作家じゃ比べもんにならんわな。
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| 小松 |
で、その頃はFAXも無いでしょう?
出来たコント台本とかを、局のディレクターさんの机の上にまで
届けに行ったりとかってところまで仕事なわけですよ。
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| 小松 |
明らかに、労働量や疲労度と、もらえる額とが割にあわないわけです。
結局、どうしたかっていうと、
ノイローゼになったふりをしたんです(笑)。 |
| 小松 |
そうそう、演技派ですから(笑)。
それで病気のふりをして、仕事をとにかく全部辞めたんです。
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| 小松 |
そう、全部。
芝居の劇作だけはやってましたけど、
それ以外はバイトで家庭教師やりました。
とにかく、業界の仕事は全部、そこでシャットアウト。
けど、劇団だけは続けたかった。
芝居の方では、普通に劇作家としてそこそこ評判悪くなかったんです。
雑誌に取り上げてもらったり、大きなホールで公演が決まったりして、
上り調子やったんですね。
ところが、芝居っていうのはどこまでいっても
商売にならないんですよ、これが。 |
| 高須 |
それだけ大きくなって、ホールとか何百人満員にしても無理なの?
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| 小松 |
いや、あれぐらいのレベルの人達でも、演劇それだけっていうのでは
そんなに儲かってないんだと思いますよ。
他のメディアの要素が絡んでっていうところでの、あの環境ですしね。
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| 小松 |
だから、劇作家で食っていくっていうのも
これまた無いのかもなぁ、と思いましてね。
だけど、就職しようにも就職活動の方法が分からないんですよ。
ナマケモノですから、調べようともしなかったんですけどね。(笑)
ある日、劇団仲間の友達と一緒に授業さぼろうと思って、
一応休講かどうか確認しに行こかー言うて、
大学の掲示板を見に行ったんですよ。
そこにハガキが落ちてたんです。
「なんやろ、これ」言うて、友達の辻くんがそれを拾った。
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| 小松 |
そう、辻くんがね(笑)。
ハガキには『フジ産経マスコミセミナー』って書いてあったんですよ。
当時の、青田買いみたいな入社試験の応募用紙で。
「へぇ、こんなんあるんや。受けてみようかなぁ」って
辻くんが言うんですけど、よく見たら
ハガキの応募期限はもう切れてたんですよ。2日前ぐらいに。
「なぁんや、〆切終わってるわー」言うて、その場はそれで終わって、
そのまま二人で喫茶店行って、喋って、別れて、帰った。
したら、なんでかそのハガキが僕のカバンに入ってたんですよ。
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| 小松 |
で、家に帰ってそのハガキを見つめたら、
「俺って、就職する手段って、今、このハガキしか無いなぁ」って
しみじみ思った。(笑)
ほんで、期限切れだったけど、そのハガキを書いて送ったんです。
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| 小松 |
ひょっとしたら、と淡い期待をして。
それが5月ぐらいやったかなぁ。もう五年生で(笑)。
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| 小松 |
したら、返事が来たんですよ、何故か。
「東京に試験受けに来い」みたいなのが。 |
| 高須 |
実績を買われたんじゃないの?大阪での業界での活動の。
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| 小松 |
いや、でもそんなのを書くところは無かったですしねぇ、ハガキには。
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| 小松 |
東京で面接受けて、どんどん試験を通
過してしまって、
いつの間にか受かってしまったんですよね、フジテレビに。
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| 高須 |
そんなことがあるんやなぁ。真面
目に受けに来た人間、
アホみたいになるなぁ、そんなん(笑)。 |
| 小松 |
そんな!(笑)
高須さんだって、業界就職活動を
必死なってやったわけじゃないでしょ? |
| 高須 |
うん、インドで買い付けするインポートの
雑貨屋さんになろうとしてた(笑)。 |
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