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一回目ゲスト 杉本達さん(TORU
SUGIMOTO)
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過去に手がけた番組として『カノッサの屈辱』、『TVブックメーカー』、
『ジャイアント将棋(ラスタとんねるず)』『気分は上々』『ウィーケストリンク』
『世にも奇妙な物語』『ウンナンのホントコ』などがある。
『映画版未来日記』では監督も努めた。
現在はフリーの演出家として活躍中。
テレビ以外のメディアに進出中とのウワサ。
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| 杉本 |
でも、実際その助監督の仕事はものすごくハードやったんよ。
きつくてきつくてヘロヘロで、その割には給料もそんなには
高くなかった。
とにかくしんどかってん。 で、そんなこんなしてたら二十歳になって…。 |
| 高須 |
って、どんだけ喋る気やねん。もっとさばけ、さばけっ(笑)。 |
| 杉本 |
お前が喋れと言うから!(笑) ええやんけ、聴けっちゅうねん(笑)。
ほんで、結局学校の流れでにっかつの撮影所に就職しなさい、と
勧められたんよね。
けど、その就職先って言うのが「美術部」。
給料訊いたら「月給七万です」って言われてビックリや。
当時で、家賃が四畳半木造2階建て風呂なし共同便所で
一万五千円ぐらいやったから、
それでは絶対キツキツなわけよ。 だから、その話は蹴って、もう京都に帰ってん。
けど、その帰阪には保険があって、友達が大阪で制作会社を作るって言う
話が持ち上がってたわけ、その時。だから安心して帰ることができた。
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| 杉本 |
そう、あるわけがない。(笑)
で、あてにして帰ってみたら「そんな会社作りませんよ」って
なってしもた。
そしたら、それじゃあんまりだってことで、
会社作るって 言ってた人がバイトを紹介してくれた。
それは、ビラ配りのバイトやってん。 |
| 高須 |
うわぁ…新聞配達とか、ビラ配りとか、つらいのぉ〜。
戦後のどさくさに生きてたんやなぁ、お前一人。。。
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| 杉本 |
うっさい!(笑)
そんなこんなでビラを配って、二ヶ月三ヶ月ぐらい経った頃かな。
そのビラ配りの会社の人が、当時大阪ではトップの放送作家だった
寺崎要さんと知り合いやったんよね。 |
| 高須 |
寺崎さん言うたら、大阪のテレビ界で知らぬ
者無し、てぐらい
有名やったからなぁ。 |
| 杉本 |
そうそう。で、何の因果かその会社の人が
「寺崎さんがADを 探してるらしいから、お前行ったら??」
ってことで、俺は 制作会社の「スタッフトゥーワン」っていうとこに
紹介されて入ったわけ。
そこから、大阪の吉本系の仕事にいろいろ関わっていってん。
そこでの一番最初の仕事はさんまさんのコンサートやったなぁ。。。 |
| 杉本 |
そんなこんなでもがきながら、ADとして働いて、
一番最初にディレクターとして関わった番組が『サブローシローの今夜はねむれナイト』。 |
| 高須 |
サブローシローがしばらくやった後、紳助さんにバトンタッチする番組やんな?? |
| 杉本 |
そうそう、俺は紳助さんに変わってからはほんの少しの期間しか
やってないけど、でもその番組内のコーナーで 『ダウンタウン劇場(シアター)』
ってのがあって、 それがダウンタウンの火付けみたいになったんよな、確か。
そして、その「ねむれナイト」の担当が終わったら、
今度は会社にラジオの構成をやってくれ、と言われてん。
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| 杉本 |
ちゃうちゃう。当時の大阪って、システム的にディレクターより
作家の方が番組作りの上でチカラ強かったりしたやんか。
で、番組を好きに創りたいと思ったらディレクターより
作家だろうと思ったし、
師匠が寺崎さんで作家さんやった わけやから、
よし、作家でやってみようって思ったわけ。
そしたら、その話と同時に『4時ですよ〜だ』のディレクター
やれへんか、
ていう話がいきなり舞い込んできたワケよ。 |
| 杉本 |
そう、もうラジオの演出やります、て決めた矢先のことやったなぁ。
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| 杉本 |
ラジオは月曜日から日曜日まで毎日、帯の番組全体を仕切れる。
しかも時間帯22時から24時まで。つまりヤンタンの裏番組。
ラジオで言うたらゴールデンみたいなもんや。
でも、「4時」はテレビとはいえ一つの曜日を 担当するだけ。
そうしたら、俺はラジオをやる方か自分にとっていいだろう、とその時判断したんよね。
結局、いろいろ考えた挙げ句に「4時」には関わらなかった。
もし、あの時俺がラジオを蹴ってたら、 高須ちゃんと会うてたかもしれへんかったわけよ。
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| 高須 |
でも会えへんかった。
そして何の因果か、それからもずっとずっと会うきっかけがなかった。
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| 高須 |
それから会社辞めたんやっけ??
いろいろやらかしてもーたんやろ(笑)、噂によると?? |
| 杉本 |
やらかしてしもたねぇ(笑)。
神奈川に左遷されて、大変大変(笑)。
でも、その神奈川時代、 結構いろいろと個人で仕事を引き受けてやってたんよね、俺。
したら、そっちの仕事の方が何となく増えてきて、
しかも 東京の仕事が結構多かったからさ、これは大阪だけで制作やってんのは
もったいない、
これだったら会社自体が東京にも進出していけるぞ、と
ある時判断したわけよ。
そこで会社に「神奈川までじゃなく、僕らも 東京へ一気に進出しましょう!」って進言したら、
「そんなん勝手にやれ!」言われて(笑)、 なんかぎくしゃくして会社辞めてもーた。
そしたらすぐに、内職的な仕事の方で知り合ってたCXの
桜井さんっていう
女性プロデューサーから声がかかってね。
(↑その後、『ウゴウゴルーガ』のプロデューサーなど務められた方)
「じゃあ君、フリーになったんだったら深夜番組やってみる?」と誘われたんよね。
それが『カノッサの屈辱』っていう番組だったわけ。 |
| 高須 |
ほぉ、人生の底辺からようやく抜け出しはじめたんや。
しかも、蘇るには十分な番組での再スタート。 |
| 杉本 |
ようやくですよ、これ。
長いこと、だいぶ辛かったからなぁ〜(苦笑)。
まぁ、流れを考えたら決してひとつも無駄ではなかったわけやけどさ。 |
| 杉本 |
当時はCXが若手のディレクターを積極的に養成しようとしてた頃で、
実力のある奴、可能性のある奴にどんどんチャンスを与えよう!
みたいな時代だったんよ。
局員も外部も関係なく、っていうそんな時代だったからこそ、
俺にも いろんなチャンスが降ってきてね。
俺一人に半年深夜ドラマの監督を任せてくれたり、
フリーのディレクターなのにレギュラーの企画書を通
してくれたりって、
今ではとても考えられないような待遇やってん。
「カノッサ」やって…その後『TVブックメーカー』やって。
そんなんしてたら、何かのタイミングで 個性あるディレクター陣を
深夜からゴールデンへ 進出させようってことになって、
『ラスタとんねるず』の仕事が来た。
この番組は五人のディレクターがそれぞれコーナーを担当して、
一番おもしろいと思われたコーナーに 尺を与える(放送時間が一番長いコーナーになる)って、
だいぶ競争めいた感じの方針やったなぁ。 |
| 杉本 |
そらそうやがな、言うときは言わんと(笑)。
で、俺が担当したのは「ジャイアント将棋」ってコーナーでね、
それはとんねるずの二人にはまったコーナーやったんやろね、たまたま。
で、代表コーナーとしてオンエアされることになったという。。。
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| 高須 |
「ジャイアント将棋」はセットというか、世界感はすごいかっこよかったなぁ。
腹立つけど…。 |
| 高須 |
俺は当時あの番組を見てて変やなぁ〜と思ってたのよ。
とんねるずとは全然接点のなかった 大阪のタレント入ってたりしたやんか、あのコーナー。 |
| 高須 |
なんで東京のスタッフが、大阪のタレントに注目すんねやろ??
そんなスタッフもとんねるずは持ってるってことか??とか、
いろいろ思ってたなぁ。
でも、その頃「杉本達」という人間を全く知らなかったから、
「おっかしいなぁ」と思うだけで、それっきりやったけどね。
不思議でしょうがなかったけど、すぎもっちゃんがやってたと知った時、
なるほど、この男のテイストかぁ、と納得したもんなぁ。
それからまだまだ時間が経って、 結局、俺とすぎもっちゃんは
ウッチャンナンチャンの 現場で初めて会うことになるわけですよ。
いやー長かったなぁ、ここまでのあんたの独白プロフィール!(笑) |
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